NHK映像の世紀バタフライエフェクト「バブル ふたりのカリスマ経営者」
(初回放送2024年10月21日)を観て、直近株価好調の西武ホールディングス(9024、東P)の歴史に思いを馳せました。
「映像の世紀」は1995年にNHKスペシャルのシリーズとして始まった、私がほぼ唯一見逃さずに見ているテレビ番組です。この番組を作ってくれるから大人しく受信料を払っているようなものですよ。
NHKに限らずマスコミは「今日は何の日」的なネタが好きです。それは自分が歴史を追い続けている、というちょっと自意識過剰気味な「時代感覚」をもつ習性があるからなのでしょう。
なぜNHKは2024年、「日本のバブル」をテーマに取り上げたのか。
それはこの2024年に、34年振りに日経平均株価もTOPIXも史上最高値を更新して、バブルの軛から解き放たれたという歴史的な転換点がこの年である、ということを伝えたいのではないかと思うのです。
番組の内容で取り上げられているダイエーとセゾン。尺の問題でしょうが述べられていない部分は多いです。中内功がダイエーを一代で築き上げたのと比して、セゾンの堤清二はそうじゃないところなど。
バブル経済とその崩壊は日本現代史において外せない事柄だと思うんですよね。その主役の人物たちである堤家のバックグラウンドと生き様、そしてその終末は歴史の欠かせない1ページであると言っても過言ではないでしょう。
番組では取り上げられていない部分、特にセゾングループについては母体となった「西武」の歴史、そしてセゾンを分離した「西武鉄道・コクド」のいきさつとその後の命運も書き記しておきたいと思います。
●西武の創業
堤康次郎(1889〜1964)
堤清二、堤義明氏の父親。
明治22年、滋賀県に生まれる。早稲田大学政治経済学部に入学し、政府の重鎮であり大学創設者である大隈重信、都市計画の行政官であった後藤新平に気に入られる。1923年の関東大震災の前後に新宿区落合や中井周辺の土地を買い漁り分譲してタネ銭を稼ぐ。それを元手に箱根、軽井沢の土地をまた買い漁り別荘地として転売し大儲け。これが非上場会社「コクド」の起源です。元は土地の転売ヤーだったわけですね。不動産業というビジネスはかなりの部分に転売ヤーとしての要素がありますが、堤康次郎は日本における土地転売ヤーの始祖鳥的な存在の一人であると言えましょう。
さらにこの時代の成長産業だった鉄道事業の子会社を設立。郊外と都心を鉄道で繋ぎ沿線の不動産価値を上げて販売するという手法で巨万の富を築きます。つまり転売ヤーが付加価値を作るという進化を遂げたのです。大泉学園、小平、国立は堤康次郎が開発を手がけた街です。
強引な商売手法は、東急の総帥五島慶太が「強盗慶太」と呼ばれたのに対し、「ピストル堤」の異名を取ります。太平洋戦争中は国策によって民間企業の統合が行われたため、結果として首都圏の私鉄の多くを傘下に加えました。これが「西武鉄道」の基盤となったのです。
戦後は皇族や華族がGHQにより身分剥奪され困窮したのですが、その際に彼らの邸宅や別荘を二束三文で買い取りさらに資産を増やしました。これが「プリンスホテル」の由来で、高輪プリンスは元々は旧皇族の竹田宮邸(東京五輪2020の際のJOC委員長竹田恒和氏の父)と北白川宮邸、品川プリンスは元々は毛利侯爵邸。ちなみに解体されて今はガーデンテラス紀尾井町として再開発される前の建物、バブル時代の象徴だった「赤プリ」こと赤坂プリンスホテルも元は大韓帝国皇太子であった旧李王家邸です。
都心ターミナル駅の再開発に便乗して、いわゆる「鉄道系百貨店」を作り池袋東口を拠点に小売・流通業へと進出。1940年に池袋東口にあった菊屋デパートを買収して「武蔵野デパート」と改称。これが後に西武百貨店となります。
堤康次郎は1964年に亡くなるまで衆議院議長を務めるなどいわば政商として財界に君臨しました。
堤康次郎のキャラクターは強烈で、特に家庭とか家族というものに対して一般とは違う概念を持っていたようです。部下の奥さんでも平気で手をつけるヤバい倫理観で、配偶者は正式なだけでも5人、自分の子供に至っては何人いるか知らなかったと言われています。
火力は「ピストル」どころかショットガン以上。
1971年、堤康次郎の7回忌を機に西武グループは後継者たち、異母兄弟の堤清二と堤義明氏に分割統治されることとなります。