西武グループの歴史③堤義明氏とコクド・西武鉄道グループ

コクド・西武鉄道グループ

●堤義明氏(1934〜)

堤康次郎の三男。早稲田大学在学中より父親の秘書をしながら帝王学を叩き込まれる。早稲田在学中に学生サークル「観光学会」を立ち上げ、1957年(23歳)に父から任された西湘南の開発企画(大磯ロングビーチ)を成功させ後継者としての立場を固める。1962年には苗場スキー場と苗場プリンスホテルを開業。のちのバブル期にはスキーブームの追い風もあり最も人気のあるリゾートとなります。僻地の開発に手腕を発揮し、北海道の富良野スキー場開業にあたっては「フラノ」の知名度向上と集客のために、麻布中高時代のクラスメートだった脚本家倉本聰氏に依頼してテレビドラマを作ってもらった(フジテレビ「北の国から」)。

また現在訪日外国人に一番人気のスノーリゾートである北海道のニセコ地区も元は堤義明氏が開発を始めたのです。1978年には西鉄ライオンズ球団を買い取り所沢へ誘致します。


また父親からの人脈も引き継ぎ政財界に影響力を維持。スポーツ界では日本オリンピック委員会(JOC)会長を務め1998年開催の長野オリンピック招致を成功させたが、その際に長野新幹線を軽井沢に通したのは我田引水と言えなくもない。


受け継いだ不動産開発事業(コクド)とリゾート開発事業(西武ライオンズ球団を誘致した所沢、また日本各地のプリンスホテルなど)、そしてそれら拠点をつなぐ鉄道事業(西武鉄道)を率い、間接所有する不動産とその価値は数兆円と言われ、1990年頃にはフォーブス誌で世界一の富豪とされました。にもかかわらずグループの本丸となるコクドは、上場会社西武鉄道の親会社であったがコクド自体は非上場企業であったため業績開示などは全くしておらず、また法人税をほとんど払っていないと言われていた、謎の企業でもありました。


バブル崩壊により不動産価格が下落をはじめ、ダイエー、そごう、西武流通グループ(セゾン)などが苦境に陥る中でもコクド・西武グループは比較的にも信用不安は長く取り沙汰されなかったが、終幕は遅れて訪れたのです。


●証券取引法違反

2004年、株式の電子化が行われた。ペーパーの株券は廃止され、証券会社の店頭に株券持ち込みが行列を作るほどになった時期があった。これにより株式の名義が株式保護振替機構で名寄せされることになった。つまり本当の所有者が炙り出されるという意味でもありました。

2004年10月26日、堤義明氏は緊急記者会見を行う。

「西武鉄道の株式なんですが、株主として社員や知人の名義を借りてたけど、ホントは8割以上がコクド名義の(実質的に堤義明氏個人の)ものでした。」

→ これは仮名・借名取引

「そしてそれを黙って売却しちゃいました。」

→ インサイダー取引(おもくそ裏目)

これは東証上場廃止基準からしてもアウト。証取法違反と東証規定違反のコンボ。堤義明氏は東京地検に逮捕・起訴され有罪判決(執行猶予4年)を受けます。西武鉄道(9002)は東証により2004年12月17日に上場廃止となった。最終売買日であったこの日の終値は485円。

なおこの事件の最中に西武鉄道前社長とコクド総務次長が謎の自●を遂げています。


西武鉄道は東証上場会社であったがコクドやプリンスホテルは非上場でした。この事件により東証開示基準が改正され、上場会社の親会社も東証での決算発表を義務付けられます。それまで非公表だった新聞社(朝日新聞社)などの業績や資産内容も子会社のテレビ局が上場しているため現在では開示されています。


銀行はコベナンツ(財務制限条項、融資を継続する条件)のひとつに、上場維持を付けていることが多く、こういった状況では融資の回収に動かざるを得ないのです。前後してグループは1兆数千億円の有利子負債の存在と、実は過小資本である状況が露わになり経営危機を迎えます。程度や比率が違うとはいえ、結局はダイエーやセゾンなどと同様に、「含み益資産担保の借り入れ依存経営」に過ぎないことが明らかになりました。法人税を払わなかったのではなく、実際は払うほど利益がなかったのです。

こうしてコクド西武鉄道グループは崩壊の憂き目を見ます。

 

●後始末
2005年5月24日、貸出の多かったメインバンクのみずほコーポレート銀行から後藤高志副頭取(第一勧銀出身)が送り込まれました。

後藤社長は複雑にこんがらがったグループの資本関係や融資関係を一つずつ整理していった。また過小資本を解消するため米国の投資ファンドであるサーベラスを招致し出資を受けます。

 

 

(コクド株主、旧コクド株主=堤義明氏)

(増資株主=米投資ファンドのサーベラスグループ)

https://www.seiburailway.jp/file.jsp?company/ir/disclosure/ka-05-16_1.pdf

https://www.seiburailway.jp/file.jsp?company/ir/disclosure/ka-05-16_1.pdf

 

●再上場

このような経緯を経て、新「西武ホールディングス」は2014年4月23日東証1部へ上場廃止から9年4ヶ月ぶりに上場となりました。旧西武鉄道株式(9002)一株に対して西武ホールディングス(9024)が一株割り当て、つまり上場廃止から再上場までそのまんまという事です。上場廃止は倒産ではなく、もともとの一般株主は権利をそのまま保有していたので、この期間売買が出来なかっただけです。

再上場の際の初値は公募価格と同じ1,600円。上場廃止時の株価からすれば約2.3倍になったのですね。